一
詩仙堂の由来
詩仙堂は、正しくは「凹凸窠(穴冠に果)」(おうとつか)と呼びます。凹凸窠(穴冠に果)とは、でこぼこした土地に建てた住居という意味です。
凹凸窠の中心には、江戸時代の絵師、狩野探幽(1602年~1674年)が描いた中国の漢晋唐宋時代の詩人三十六人の肖像画があり、各詩人の肖像画の頭上には、石川丈山が隷書体にて記した漢詩が書かれています。
四方の壁に掲げた”詩仙の間”を中心としていることから、現在は「詩仙堂」と呼ばれています。
詩仙堂は、正しくは「凹凸窠(穴冠に果)」(おうとつか)と呼びます。凹凸窠(穴冠に果)とは、でこぼこした土地に建てた住居という意味です。
凹凸窠の中心には、江戸時代の絵師、狩野探幽(1602年~1674年)が描いた中国の漢晋唐宋時代の詩人三十六人の肖像画があり、各詩人の肖像画の頭上には、石川丈山が隷書体にて記した漢詩が書かれています。
四方の壁に掲げた”詩仙の間”を中心としていることから、現在は「詩仙堂」と呼ばれています。
詩仙堂の入口にある小さな門「小有洞(しょうゆうどう)」をくぐると、木漏れ日の注ぐ石段があります。石段を登ったところには中門「老梅関」があり、そこをくぐると詩仙堂の建物があります。
その先には情緒あふれる唐様庭園が広がり、庭園も散策することができます。庭園には鹿おどしの心地良い音が響き、四季の移ろいを楽しみながら、ゆったりと散策することができます。
現在、詩仙堂は曹洞宗大本山永平寺の末寺として、信徒の皆様の教化を行っております。また、境内には永代供養塔があり、合祀による永代供養納骨も行っております。
永代供養に関する詳細は、お問い合わせください。
寺院名
住所
電話番号
アクセス
拝観休止日
「詩仙堂」を訪れる皆様は毎日の喧騒からのがれ、心のやすらぎを求めるため来られる方が多いと思います。
山門をくぐった時と帰られる時の気持ちが、少しでも心静かになり「来てよかった」と思っていただくことが多くなるような環境作りに勤めております。
どうぞゆっくりと縁側に腰をおろし、丈山が過ごした頃に思いを馳せ、ひとときを過ごしていただきたいと思います。
皆様の心が少しでも洗われますように念じております。